第四企画のシュボウシャ

黒田正信(クロダマサノブ)

1975年(昭和50年)生まれ

東京都世田谷区在住

愛知県豊川市出身

愛知県立国府高等学校 普通科卒

立命館大学 理工学部情報工学科卒

第二種情報処理技術者、パーソナルコンピュータ利用技術認定試験1級、秘書検定2級、三国志検定3級、京都検定3級、球磨焼酎案内人、京都フードマイスター認定、AWS Builders Online Series修了

Googleローカルガイド レベル9


大学は2回生から滋賀県草津市にキャンパスがありましたが、結局4年間京都市右京区に住んでいました

モータースポーツメディアの世界に入ろうと上京

とりあえずのバイトで選んだ株式会社メンバーズ(当時社員5名)に入社

ネットビジネス勃興期ということもあり、凄まじい業務量で入社3日目には会社に泊まる

大学研究室時代に研究そっちのけでperlでCGIを書いていたこともあり、自らの技術でネットの世界が切り拓かれる事実に感動しつつ、もはやモータースポーツメディアを目指すどころの状況ではなくなる

年間200泊くらいしててそれはそれでアリだったが、このままだとガチで死ぬと思い退社

モータースポーツのことを思い出し、編集プロダクションに入る。実は某芸能プロダクションからも来てといわれていたけど、3時間ほど編プロからの返事が早かった。あの時、某芸能プロに行ってたら、確実に人生が変わってた、、、

が、なぜかその編プロもネットバブルの波が押し寄せ、当たり前のようにネットの提案ばかりさせられる。その一方で、Web屋とは異次元のレベルでのコンテンツ制作にも関わり、ネットの可能性を別の側面から感じる

ちなみに社長は某雑誌でF1を担当していたこともあり、モータースポーツ誌にWebサイトというか当時はほとんど存在していなかったWebメディアの営業をかけるも、アイデアだけ持っていかれて憤慨。F1○○○○○○○だけは絶対に許さねぇと思っていたら、とっくに休刊してた

編プロ時代の一番の思い出は、映画「メッセンジャー」の公式サイトをまったくのゼロから担当したこと。打倒「踊る大捜査線」とか言ってたな、恐ろしい、、、。草彅君やら飯島直子さんらテレビでしか観たことがない俳優の皆さんと当たり前のように同じ現場に入っていたのは、貴重を超える一生モノの体験でした。ちなみに、高校時代から大ファンだった京野ことみさんがキャストにいたので、もうなんというかたまんねぇ。緊張しすぎて全然話しかけられなかったけど

しかも、DVDのメニューとかまで作りました、エグいぜポニー○ャニオン。本業はネットエンジニアなのに何をやっているんだか

その後、編プロに所属しつつ個人事業として第四企画をはじめる

テキトーにはじめた個人事業ですが、大学時代の後輩と会社員時代の後輩にも来てもらい、結構でかい案件を受託

上京後は新百合ヶ丘に住んでいたけど、インディーズバンドのライブにはまったりしていて下北沢によく来ていたので、下北沢(下北沢駅徒歩15分)にお引っ越し

なんやかんやで個人事業だと微妙だったので、資本金300万円で有限会社第四企画を設立。事務所も下北沢駅徒歩2分のホンモノの下北沢に開いたYO!

受託案件と謎の自社サービスを次から次へと作ったりしてた

そんな最中、結構な金額を持ち逃げした会社が発生。マジ、精神的にも病んだし、絶対に許せなかったけど、相手は1mmも譲れないような状況と知り、諦めの境地に。あの当時としては凄まじい金額の負債を負う

ああ、そうか、それ以降の会社経営のイメージがしばらく抜け落ちてるのは、お金的に一切の余裕がなかったんだね、、、まあ、お金の余裕は今も無いんだけど

何を思ったのか、手作り雑貨の委託販売ができる「ハコウリ」というお店を始める、レンタルボックスブームが来はじめてたところだった

同時に下北沢の餃子の王将を見下ろすグッドロケーションに、新たに事務所を借りる

自社サービスの中では最もヒットした「ブログランキング・ドット・ネット」をはじめる。事務所にサーバを置いていていて、最初は1台、続いて2台目、3台目と、どんどん増やし最終的に12台くらい置いていた。夏めっちゃ熱いし、めっちゃうるせえ、さらには電気代が凄いことになる。60Aの限界

OpenPNEという素晴らしいオープンソースソフトウエアに出会い、地域SNS「下北沢ブロイラーSNS」をはじめる。ブロイラーってなんやねん

たしか、このくらいの時期にもう1カ所事務所を借りる。スタッフが15人くらいいて、この時期が一番イケイケだった

打倒ツイッターを掲げミニブログ「俺に言わせろ」をリリースしたかと思ったら、ツイッターアカウント検索サービス「ツイサーチ」をリリース。なにやってんのさ、ホント

2010年末、「ハコウリ」閉店。スタッフのみんなは頑張ってくれたけど、完全に自分の力不足でした

2011年3月11日、東日本大震災が発生。その瞬間、俺は愛知県にいて東京に帰れなくなる。事務所のサーバもハコウリの残ったハコもなんとか大丈夫だった

翌日中央道経由で東京に戻り、自宅を復旧。自宅は10階なので事務所より圧倒的に被害が凄まじかった

壊れちゃいけないはずの原発が爆発したりで電力不足の懸念が。とりあえず事務所のサーバを順次、さくらインターネットの専用サーバに移してゆく。1週間くらいで全サーバを移設。社内がめっちゃ静かになった

そして、ちょっと前から突然モータースポーツ気運が高まりスーパー耐久のオンボードカメラの配信のお手伝いをしたり。その後、フォーミュラニッポン(現スーパーフォーミュラ)のレースの有料配信のお手伝い。当時は有料のUstreamとか珍しい時代で、先取りしすぎで全然売れなかった。まあ、みんなCS契約してたもんなぁ、スーパーフォーミュラを観るような人は

同時に元嶋佑弥というドライバーをアホみたいに応援していた。クラウドファンディングのプロジェクトを立ち上げたりもしていたよねー。そんな、元嶋も今やスーパーGTドライバー。なんとか、チャンピオンを獲得して欲しい

「ハコウリ」跡地はコワーキングスペースの「SCR」として使う予定でしたが、なんか軌道に乗せられず、、、まあ、この場所でたくさんのイベントを開催しましたね、アレはアレで楽しかった。家賃の無駄遣いだったけど

その後は、クラウドファンディングにはまってたなぁ。プロジェクトをやるだけじゃなくて、サービス運営に関わっていた時期もあった。まあ、なんかうまくいかなくて撤退したけど、、、

そして、WebサービスよりもWebメディアの方が楽しくなってきた。TwitterやFacebookなどのグローバルソーシャルメディアが一気に広まってきてクローズドなSNSは劣勢となり、「下北沢ブロイラーSNS」を地域メディアの「下北沢ブロイラー」としてリニューアル

さらに、モータースポーツは国内から世界へ。そう、どんな因果かこんなタイミングでついにF1のメディアに関わることになりました。全レース全セクションライブで展開をまとめるという地味ながら、ものすごく価値のあるお仕事。記事を書くとはまた違う作業だけど、当時はどのメディアもそんなことはやっていなかったので、これまた時代を切り拓きつつ自分の憧れの世界に関わることになって感無量

会社は不安定な状況だったけどそれを打開すべく、ガッツリ融資を受けてスタッフを一気に3人くらい増強するも、大ハズレを引いてしまい大ダメージ。まじ、面接で大口叩くやつって、ろくでもないやつばっかだわ

この頃から会社の規模を徐々に縮小方向へ。なんというか、会社経営に疲れてたんだよね。なかなかスタッフが定着しなくて、面接してもなんかしっくり来る人がこなくて、もう一旦ミニマムに向かおうと

「ハコウリ」跡地を撤収。本当にこの物件には運命的な出会い方で、たくさん人が集まってたくさん宴会したなぁ。撤収した直接的な原因は、オーナーが代替わりして頭のおかしいことを言い出してきたから。マジ、2代目とかろくなヤツじゃねーな

そんな中でも「下北沢ブロイラー」は細々と続けていて、下北沢ではそれなりに知られている存在になる

20代の頃にライブハウスによく通っていたけど、それを上回る勢いでライブハウスに通う。まあ、下北沢って毎日20本くらいライブやってるような街だから、環境としては最高なんだよなー。アラフォーになってライブハウスに行きまくって、10代や20代のバンドのライブを泣きながら観てるのもアレだけど

そんな最中、2015年3月16日京都nanoで幾つかのバンドと運命的な出会いを果たす

「下北沢ブロイラー」で最も力を入れていたのは音楽情報で、力を入れすぎて音楽情報が多くなりすぎたので「316.rocks(みいろ)」という音楽情報サイトとして分離、316は3月16日という運命の日から命名。下北沢で会社をやっているのに、気がつけば関西のアーティストばかりを追いかけてて、大阪や京都に月1ペースで通ったりしていた

そして、音楽イベントの「316NIGHT」を大阪・梅田シャングリラで開催。その後、下北沢と京都でイベントを開催

「下北沢ブロイラー」というネーミングが意味わからないし、その頃はシモブロと省略して呼ばれていたので、名前を「しもブロ」に変更。よく、下北沢のブログだから「しもブロ」ですよねと当然のように言われますが、ブログじゃなくてブロイラーです。ツイッターアカウントをごらんください、 @shimobro なんですよ。ブログだったら @shimoblo になるでしょ

最も追いかけていた「ぽわん」が解散、衝撃だった本当に、、、家族旅行のフリをして新潟まで解散ライブを観に行ったなぁ

その後も細々と316NIGHTは継続、本当にたくさんのバンドに出会ってイベントに出演してもらいました

316史上最大規模のイベント「お京阪ナイト ~特別急行~」、京阪のバンドを下北沢に集め、BASEMENTBARとTHREEの2カ所を使って往来型のイベントを開催。解散した「ぽわん」をシークレットで出演させ、2015年3月16日京都nanoに出演していた「シンガロンパレード」「百長」「カトキット」「モルグモルマルモ」を再現。感無量、大赤字だったけど

2020年3月16日で最後の316NIGHTにする予定だったけど、COVID-19というウイルスの影響でイベント自体開催できない状況に。イベントは6月に開催できたけど無観客での開催。でもって、ライブハウスが窮地に立たされているのにイベントを辞めちゃうことはできねぇというわけで、その後も開催し続けてます。2025年3月16日をラストにします

下北沢までスタッフに来てもらうのも馬鹿馬鹿しいので、2020年2月末からリモートワークを開始

もう、直接会わなくても仕事できるねって事で、リモートワークをメインにしたのが7月の話

でもって、リモートワーク開始から1年経ってどう考えても下北沢の事務所が無駄だと判断

2021年3月31日、下北沢の事務所を撤収。まあ、俺すらあんま行かない事務所に家賃払い続けるの無駄だよね

2021年春、自宅と下北沢のコワーキングを中心に仕事をしています

2021年8月、またもや発出した緊急事態宣言でも全然収まらないCOVID-19、しもブロの更新を止める決断をする。自分ができるのはこれくらい

とりあえずCOVID-19にも罹患せず生き抜いています。早くワクチン2回目打ちたい

はい8月中旬に2回打ち終わりまして、とりあえずいまできる最大の防御をしました。ライブハウスにも再び行っちゃうぞ! しもブロも復活だ!

でもって、17回目の316NIGHTを開催します。京都・木屋町DEWEYにて。なんで下北沢じゃないのか、単純に出て欲しいアーティストが京都にばかりいるだけなんじゃよ

COVID-19が蔓延し無茶苦茶な状況になっているライブハウス界隈ですが、唯一よかったことは自分が最も信頼している京都の二つのライブハウスが配信を続けてくれること。だから、京都のアーティストとどんどん出会うことができてるんですよ。サイコーじゃねーか

2022年に入り、ちゃぶだいに傾倒する。なんとなくアンチメジャーで数字なんてく○食らえだというスタンスで生き続けてきたけど、結果的に何も残ってないことに突然気がついて、今までとは真逆で数字にこだわりまくる方向にシフト

いやー、数字にこだわり出すと目標がはっきりするので面白いなー。いやいや、会社20年経営しててなんで今更そんな当たり前すぎることを言い出すのですか。数字にこだわり始めたので目標値の高さに目眩がしてくるわけですが、それはそれでいい緊張感を持ち続ける日々を送っています

そういえば、CentOSさんが完全にあっち側に行ってしまったので、全てをMIRACLE LINUXに乗り換えます。こんな、全面的なディストリビューション乗換は初めての体験だった

そんな最中、316NIGHT vol.18をnanoで開催。このイベントをもって、316NIGHTはしばらくのお休みに入りました

2022年4月、下北沢にコワーキングがどんどん増えて、色々なコワーキングで仕事をしています。自宅のお仕事環境を猛烈にリニューアルしたくなってきたぞ

Webサイトの制作は長らく受注を停止していましたが、ローカルWebメディアと政治家のWebサイトに限り受けるべく準備中です。やばい、引退したはずのディレクター業務めっちゃ楽しいいい

とか、はしゃいでいたら、左足ふくらはぎを肉離れ(2度)で全治3ヶ月、、、まあまあ絶望、かなり絶望

2023年になり肉離れはほぼ完治、ホントに全治3ヶ月だったな。まだ、動きにぎこちなさはあるけど、日常生活には支障ありません

でもって、2月から「SYCL by KEIO」なるワークプレイスに入居、世田谷区の陸の孤島である自宅がメインの環境から、再び下北沢がメインの環境となりました。もうね、下北沢でバリバリやっちゃうわよー、攻めるわよーーー

SYCLをメインに下北沢を駆け回る日々、studioYETなる謎の取り組みに参加して下北沢を世界一のカレーの街にしようとするが、ギ○スの申請費用の金額により粉砕される、、、

なぜかあのLINEさんにお声がけいただき、LINEアカウントメディアSelectとしてLINE公式アカウントを運用することに。灰色でもなく紺色でもなく、緑色の特別な審査をクリアしたプレミアムアカウントですぜ、恐ろしいブロック率に白目

2023年夏くらいから静岡県藤枝市との関わりが生まれはじめ、2024年からは月の半分くらいを藤枝で過ごす状況に。Webサイトを作るのがお仕事なのに、素材を自ら撮ってみたり、なんなら素材自体(お店)が完成してないから店舗づくりにまでかり出される

2024年7月、藤枝でのお仕事完了。ステキな街なのでこれからも関わり続けたいです

下北沢ではインバウンド観光向けに何かをはじめようと暗躍中。もっと、外国人の皆さんに本当の下北沢を知ってほしい!

そして、来る24期目の事業として同時に2つのことをはじめようとしている。毎回最後の戦いをしてるけど、今回も最後の戦いやな、、、


権力者の批判しかしていなかったXですが、最近は穏やかな気持ちで投稿している、振りをしています

そして、Blueskyに安住の地をゲットしました